広島で100年。
街の発展とモノの進化とともに
明治33年2月 | アサノセメント初代社長浅野総一郎様のすすめにより浅野セメント合資会社専属工場として 桐原秀太郎個人経営にて「セメント樽」仕組材料の製造を広島市鶴見町において創業する |
---|---|
明治35~36年頃 | 広島市舟入川口町本川尻(現在地)へ移転 |
大正7年11月 | 株式会社 桐原製榑工場(資本金10万円)を設立し、桐原秀太郎社長となり、 本社を広島市寺町78番地に置き前記事業一切を引き継ぐ |
大正12年12月 | 資本金 16万円となる |
昭和3年5月 | 浅野社長の命により、下関市彦島弟子待にドイツ製製樽機による輸出向樽組立工場を建設し、 広島よりの半製品を同所にて組立て、浅野セメント門司工場に納入を始める |
昭和7年 | 鉱油樽・工業薬品樽の製造を開始 |
昭和8年9月 | セメント用紙袋の製造を始める 東洋高圧(大牟田、彦島)、三菱化成(黒崎)に納入を始める |
昭和9年11月 | 社名を株式会社 桐原容器工業所と改称する |
昭和18年秋 | 工場で大規模な火災が発生 |
昭和20年8月 | 原子爆弾により工場全壊 |
昭和20年10月 | 創業者社長桐原秀太郎死去により桐原真次郎(二代目)社長となる |
昭和24年7月 | 肥料用紙袋の製造を始める。大型製袋機2基を設置する |
昭和31年4月 | 塩化ビニール袋(肥料用)の製造を始める |
昭和32年6月 | 段ボールケース及び工業薬品用ポリエチレン袋の製造を始める |
昭和33年5月 | 東洋工業株式会社(現 マツダ株式会社)へ、 削岩機包装用の特殊段ボールケースの納入を始める |
昭和35年1月 | コルゲートマシン1号機を新設する(1号機の稼働は昭和40年頃まで) |
昭和37年頃 | ポリエチレン重包装袋の製造を始める |
昭和38年4月 | コルゲートマシン2号機の稼動を開始する |
昭和42年 | 桐原秀雄(当時常務)米国中小企業視察旅行で、 段ボールシートに於けるCフルートの存在を知る |
昭和47年6月 | 大型ワンウェイバックの製造販売を始める |
昭和48年8月 | フレキソフォールダーグルアーおよびパレタイザーを増設 |
昭和49年頃 | コルゲートマシンに初めてCフルートのシングルフェーサを導入 |
昭和50年11月 | 桐原真次郎会長となり桐原秀雄(三代目)社長となる |
昭和52年9月 | 段ボール仕上工場並びに製品倉庫が完成する |
昭和53年9月 | L―LDポリエチレン専用押出機が完成する |
昭和57年9月 | 大型ダイカッターユニット機を増設し、自動車大型部品用型抜段ボールケースの製造を開始する |
昭和59年8月 | コルゲートマシンにノーフィンガー段操機(Cフルート)を新設する |
平成4年1月 | ジャンボ ダイカッターを新設する |
平成6年11月 | 資本金 1000万円となる |
平成8年4月 | 門司工場を閉鎖する |
平成9年2月 | 段ボール古紙圧縮装置を設置し、段ボール古紙のリサイクルを推進 |
平成12年2月 | 創業100周年を迎える 記念式典及び祝賀会を催す |
平成12年5月 | フレキソダイカッター(FD)更新 |
平成12年6月 | 段ボール事務所棟新設 |
平成13年1月 | CAD制御サンプルカッター新設 |
平成16年1月 | ジャンボ プリスロダイカッター新設 |
平成16年6月 | 本事務所棟新設 |
平成17年8月 | ボイラー更新(燃料をA重油から天然ガスに変更し、環境への負荷を軽減) |
平成20年1月 | フレキソフォールダーグルアー(FFG)更新 |
平成22年8月 | 全自動製糊装置設置 |
平成22年11月 | 桐原秀雄会長となり桐原真一郎(四代目)社長となる |
平成23年8月 | コルゲートマシンのシングルフェーサー更新 |
平成24年1月 | コルゲートマシンのスリッタースコアラ更新 |
平成25年6月 | 鉄骨2階建 工場兼食堂棟を新設 |
平成25年7月 | ツーピースグルアー新設 |
平成25年9月 | 被爆建物として広島市に登録されていたレンガ壁の解体撤去にともない レンガ壁の一部を切り取り、モニュメントとして保存 |
平成25年9月 | 平盤打抜機新設 |
平成27年1月 | ジャンボプリスロダイカッター新設 |